こんにちは、けしもちです。
英語学習をしていてよく耳にするのが、
「英語のセンスあってええなあ~」
「英語のセンスないから全然無理・・・」
「英語のセンス欲しい~」
などという言葉です。
これまで「そやね、そやね」とか「ふ~ん」と聞き流していましたが、一度ちゃんと考えてみようということで、今回の記事を書きました。
英語のセンスってなんだ?
そもそも「センス」ってどういう意味か改めて調べてみました。
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」
出典:goo国語辞典
私たちが話題にしている「英語のセンス」は、①の意味で使われていると思います。
つまり、「英語のセンスがある」というのは、
英語を読んだり、聞いたり、書いたり、話したりするうえで、微妙な点までうまく表現したり、悟ったりできること。
と言えると思います。
これは何となくわかります。
英語を読むセンス
英語は日本語とは全く異なる文字、文型、単語、表現方法で書かれている言葉です。
そこには文法というルールがあって、そこで決められた規則で書かれているから誰が読んでもわかるようになっているのです。
しかし、規則やルールという原則には必ず例外がつきものであり、さらに言うと人間は変な動物で、わざとルールを破ったり、変更したりすることで自分の気持ちを表現したり、微妙な描写を可能にしたりします。
そのようなニュアンスの世界を理解するには、読む方にも一定以上の知識や教養、背景、環境などが求められます。
つまり、本当に英語の細かい表現や、規則破りの表現を敏感に察知して反応し、悟ることは不可能ではないが、とても難しいということです。
しかし、繰り返しになりますが、それはとても難しいですが不可能ではありません。
作者が持つ世界(現実的なものも精神的なものも)と共通の世界に溶け込める努力を惜しまなければ、英語で書かれたものの細かなニュアンスまで理解できるようになるでしょう。
つまり、英語を読むセンスは、訓練や練習、環境適応努力などが作り上げるものなので、センスというよりは努力や練習の成果に依存すると思われます。
英語を聞くセンス
今や英語は、多くの国や地域で母国語として話されているだけではなく、第2・3言語としても広く使われています。
私たち日本人もほとんどが義務教育課程で英語に触れていますし、フィリピンやシンガポールはもちろんのこと、インドネシアやタイの片田舎に行っても、ある程度観光地化されていれば、多くの人が(カタコトであっても)英語を理解し、使っています。
現代では、英語を母語とする人の人口よりも第2・3言語とする人の人口の方が多くなっており、この傾向は今後も止まりません。
私は色々な国の方とお話ししたり仕事をすることがありますが、実際に英語ネイティブと仕事をする方が少ないです。
※もちろんこれは仕事内容や場所(国や地域)によって異なります
ここで登場するのが”グロービッシュ”だったり、それぞれの母語を背景とした特徴のある英語です。
グロービッシュとは、英語を母国語としない人たちが効率的かつ効果的にコミュニケーションが取れるようにと考えられた英語のコミュニケーション方法です。
なるべくシンプルな文法で、誰もが知っている単語を使って話そう!というものですので、日本の書店でもよく見られる「中学英語を使って英会話ができる!」的なものです。
実際にこれは使えますし、専門的なコミュニケーション以外はほとんどこれで間に合います。
また、それぞれの母国語を背景とした特徴のある英語とは、いわゆる「ジャパングリッシュ」とか「シングリッシュ」「ヒングリッシュ」というものです。
これらの英語を話す人は発音や文法に特徴があり、良い意味では個性的であり、悪い意味では癖が強くて非共有的です。
※「ジャパングリッシュ」「シングリッシュ」「ヒングリッシュ」などの表現は差別的にとらえられることも少なくありませんので、取扱注意です。
何度も言うように、今の社会では英語を外国語として扱う人の方が多いので、国際的な会議や仕事、ミーティング、集まりなどでは色々な特色を持った英語が飛び交います。
これをすべて完璧に理解するのは至難の業であることは間違いありません。
何と言っても、ネイティブイングリッシュスピーカーですら、癖の強い英語はすぐには理解できません。
一方で、国際的な活動やコミュニケーションに慣れている人は、多様な英語の方がわかりやすく、心地よく、理解できるとも言います。
どうして聞き取れるのか?
それは「慣れです」というしかありません。
シングリッシュやヒングリッシュの練習方法などはありません。実際にそのように話す人たちと会って、何言ってるのかわからないけど、一生懸命にコミュニケーションを取っているうちに、聞き取れるようになります。
以前私はどうしてもバングラデシュ人の英語が苦手で、YouTubeなどの動画で学ぼうとしたことがありますが、この方法で学ぶことは至難の業でした。
聞き直したり、ゆっくり発音してもらったり、はっきり発音してもらったり、ちがう言葉で言いなおしてもらったりすることが、習得の道だったからです。
特徴的な発音や個性的な文法の一端がわかると、すべてがつながるようにわかってきました。
結局は、何度も聞いて「慣らしていく」しかなかったのです。
ということで、英語を聞くセンスは確かに存在しますが、粘り強く耳を慣らしていくことでも習得したり向上が可能ですので、努力と訓練が大きな要素になると思います。
英語を書くセンス
これは最初に答えが出ていますね。
英語を書くにはセンスが大きく関係します。ただし、センスが必要なのは一部の人だけ。
それは広告のライターや新聞記者、メディアライター、作家などの職業があることでわかると思います。
非ネイティブで非常に勉強熱心な人が英語を書くと、とても読みやすくわかりやすく、きれいな文法で書かれた文章が出来上がりますし、読んでいるとそれがわかります。
むしろ下手なネイティブよりもわかりやすい文章になるときがありますね。
つまり、感動を与えるようなことを必要としない文章であれば、非ネイティブでも完璧な英語の文章を書くことは、努力次第で可能です。
ビジネス文書、契約、条約、会議資料、論文、マニュアルなどは誰が書いても完璧なものを作れるチャンスがあります。
しかし、そこに人を「おお!」と思わせるようなエッセンスを加えるとなると、これはもう努力や訓練では超えられない壁が出てきます。
これこそまさに英語を書くセンスです。
それは文法や単熟語のチョイスが完璧であることとは全く別の次元のものなので、時にはそれらを逸脱した文章でも、人々を感動させることができます。
並べる言葉には無限のパターンがありますが、より多くの人たちが共感するような英語の文章やキャッチコピー、詩、歌詞、フレーズなどを作り上げるには、英語ネイティブであろうが非ネイティブであろうが、そこに一筋のセンスが必要になるのです。
つまり、”単なる”完璧な英語の文章であれば、センスよりも努力と訓練で作り上げることが可能であり、それを超えた感動的な文章は絶対にセンスが必要となる、ということです。
英語を話すセンス
こちらも答えは明確なので最初に言うと、英語を話すことにセンスは大きく関係します。
しかし、これも「英語を書くセンス」と同じですが、センスが必要なのは一部の人だけです。
センスのある人が語りかけると、聴衆は聞き入り、その言葉は語り継がれます。
それは有名な政治家や指導者、コメディアンやテレビの司会者、ラジオのDJだけではなくて、あなたがいつも一緒に仕事をしたり勉強したり遊んだりしている仲間まで含みます。
影響力の違いはあるけれど。
ただし、日常生活には英語のセンスなんて必要ありません。それは通常の仕事だったり、学校生活、国際会議、買い物や何かの契約をする場合も同じです。
これらを違和感なく自然にこなすだけであれば、センスよりも訓練や努力が大切でしょう。慣れも必要かな。
ですから、毎日英語を勉強し、オンライン英会話やF2Fの英会話レッスンで英語力を鍛えていくことで、私たちが目指すもの(前述のような用途)は達成できるでしょう。
しかし、聞く人を離さずくぎ付けにしたり、話終わった後でも伝聞で広がったり、文章化されたり、SNSでバズらせるには、それこそ英語を話すセンスが必要です。
つまり、ちょっと英語の勉強を始めてすぐに英会話ができる(ような気分になっている)人が「私には英語のセンスがある」とか、そういう人を見て「あの人はすぐに話せるようになって英語のセンスがある」などと思うのは、ナンセンスです。
それはただ要領がいいだけです。私もまさに前者の典型でした・・・(恥ずかしい)
英語をしっかり話せるようになるには、センスではなく努力と学習が必要です!
結論:英語のセンスは・・・!
日本語にだってセンスの有無はありますので、英語にももちろんあるというのが私の考えです。
しかし、すでに書いたように、それらが私たちの英語習得への道にそんなに影響するかと言うと、しないと思います。
一応こんな風にまとめてみました。
- 英語を読むセンス ⇒ センスとか関係なし、ひたすらに学習するべし!
- 英語を聞くセンス ⇒ センスとか関係なし、ひたすらに学習し慣れるべし!
- 英語を書くセンス ⇒ センスは関係するが、普通は学習で体得するべし!
- 英語を話すセンス ⇒ センスは関係するが、普通は学習し慣れるべし!
まあ、自分を表現する人にとっては、多くの人を共感させられるかどうかはセンスによるところが大きいのは、日本語も英語も同じですね。
結論としては、
英語学習者が英語のセンスの有り無しを考えて一喜一憂するよりは、ただひたすらにコツコツ学習し、機会があれば英語に慣れるように努力することが大切!
ということになるかな、と思います。