こんにちは、けしもちです。
幕末期に関する本を読んでいると、外国語ができる人がとても重宝されたということがわかります。
その初期にはオランダ語、次いで英語とフランス語という具合に広まったようです。
初期は外国語と言えばオランダ語でした。
別にオランダ語を学びたくて学んでいるわけではなくて、医学や物理、数学、化学、天文学、兵学などを学ぶために、その基本となる書物を読むための手段として学ばざるを得なかった、というのが正確かもしれません。
結果的に、ほとんど実際の外国人(オランダ人)に会うこともなく、オランダ語で書かれた書物や辞書などを元に学んでいきました。
幕末の人たちのすごいところは、それだけでかなり読み書きができるようになったというところです。
オランダ語が読めるようになった幕末の日本人は、医学や数学、兵学などをおもしろいように吸収したようです。
が、彼らが本当にすごいのはここからです。
オランダ語、いや当時のオランダがすでに当時の世界では影響力を行使できるような大国ではなく、次第に時代に取り残されるような立ち位置になっていることを察知した(一部の)日本人は、世界・時代の趨勢を見極めて、英語に目を付けました。
オランダ語を学んだ人はこぞって英語、一部はフランス語に乗り換えていきました。
自分の人生のすべてをかける勢いで学んだオランダ語を捨て、他の言語の習得に走る・・・かなり勇気が必要だったと思います。
ちなみに司馬さんの著書によると、オランダ語から英語に学び直した当時の人々は、存外にも蘭語と英語が似ていることから、ホッとしたようで、実際英語を再習得するまでの期間も短かったようです。
さらに余談ですが、私はかつてフランス語をある程度学び、現在はポルトガル語を学んでいますが、
英語を知っていてフランス語学び始めた時の習得速度よりも、英語とフランス語を知っていてポルトガル語を学び始めている現在の習得速度のほうが圧倒的に早いです。
当時の人たちの気持ちが少しわかったような気がします・・・
それはさておき。
結果として英語は世界の言語となり、そこから発信される情報や技術を自分達の骨身していくことで、明治の日本は超大国の餌食とならずに劇的な発展を遂げることができました。
いずれにしても、当時の人にとって外国語とは、何か大切なことを達成したり習得するための基礎的な手段であったわけです。
つまり、幕末の日本開明期を支えた優秀な日本人たちには、外国語に通じている人が多かったのです。
そうは言っても、外国語ができる人が少数派であることには変わりはなかった。
当時は、オランダ語ほどではないが、英語ができる人材は貴重であったことは確かです。
結局は、特殊技術だったんですね。
極東島国の日本では仕方のないことではあるけれど、日本においては外国語は”一般的なもの”には成りえなかった。
政治家や官僚は英語ができる人材を”利用して”、自分たちの目的を達成していきました。
つまり、英語という外国語(会話)はひとつの技術であり、畳職人が染め物職人ではないように、別の特殊なワザであったわけです。
一流の政治家でも英語が当たり前のようにペラペラであった人は、ほとんどいませんでした。
さて・・・
日本が激動の時代に入るきっかけとなった”ペリー来航(1853年)”から167年が過ぎた現在、日本は変わったでしょうか?
うん。そんなに変わってない。
相も変わらず外国語は特殊技術扱いされていて、英語ですらできる人はマイノリティでしかない。
2020年の今でもやっぱり、英語ができる人は重宝されているわけです。
まあ、それで仕事ができている自分にとってはありがたい話なのですが、日本全体にとっては良いことではないよな~、と思っています。
何故ってそんなことが言えるのかって?
それは私が世界のいろいろな場所や人たちと仕事をして直接感じ、言われてきたことだからです。
「日本人の仕事は信頼できる」
「日本人の仕事は丁寧で安心感がある」
「日本人の調整能力が素晴らしい」
本当にありがたいことに、このようなことを世界のどこでも言われます。
そしてそれは本当です。
私たちが当たり前だと思って行っていることや考えが、世界ではとても崇高でマネできない、素晴らしいことだということに、私たち自身が自信を持つべきです。
そしてそういう日本人が世界中でもっともっと当たり前に活躍していくことが必要です。
そのためにも、
幕末日本の人たちと同じ語学力で留まっていてはいけないと思います。
英語が特殊技術ではない、数あるコミュニケーションツールのひとつで、日本国民全員とは言わないまでも、大多数の人が使えるような日本になる!
それが日本と日本人が今後も世界の中で発展し続け、活躍できるようになる秘訣です。
幕末、明治維新のころの日本では特殊技術だった外国語、いや英語ですが、あれから200年後になる2050年頃の日本では、今の算数や理科、漢字のように誰でも当たり前に使えるようになっていることを夢見て、このソラミレ!を続けていきたいと思います。
なんてことをふと思った2020年9月のある日の午後でした。